最先端の哲学 30
「笑い」はマイナスの感情を駆逐して、駆逐した分だけ「+の感情」を増加させます。
つまり折り返し地点の両者の感情の蓄積は、プラスの感情が優位となります。
この状態で未来を予測して自分に説明するとしますと、そこにマイナスの感情の
(ストレス)の入り込む余地はないと思われます。
ゆえにストレスを軽減させるための答えは「笑うこと」になります。
それでは「笑うこと」とはどういうことでしょうか?
極端に言えば起きている時間全て笑えば良いのですが、そういうわけにもいきません。
よく大きい声を出して笑い続けるというサークルがあります。
確かにその笑った分は折り返し地点のプラスの記憶の蓄積が増加して、その分のマイナスの記憶の蓄積は減少します。
ところがそのサークルが終わって電車に乗って家に帰りつく頃には、いつものシリアスな表情に戻っているかもしれません。
笑いを起こすのは表情筋が働いているから、笑顔が作られるのです。
それでその笑いを作る表情筋の動きが電気信号になって、脳のほうへフイードバックされて「折り返し地点」でプラスの感情を蓄積させて、脳のモードを「笑いの状態」に変化させることになります。
これは前述した「ジェームス、ランゲの仮説」を思い起こして頂ければ納得できるでしょう。
ゆえに答えは笑う(表情筋)を訓練すればよいことになります。
しかし人前で声を出して笑うことは無理でしょうから、その時は表情筋を少し使う(表情を少し笑った状態にする)事が効果的だと思います。
こうやっていれば、頭の中にマイナスの感情の発生を防止する事が出来ます。
タレントの松岡修造氏がテレビで言っていました。
「夜寝ている時不安になったら無理して笑顔を作つていると、その不安は消えた。」
よく形から入る」と言いますが、これは意外な効果を発揮します。
例えば自分の部屋で姿勢を正しくして「俺は社長だ。」と言い続けると、脳は反応してそのような気分になります。
これが答えですが、このように言うと、必ず「なんじゃ、そりゃ」と言う反論が返ってきますが、世の中には特別な答えはなく。ほとんどがこのような平凡な答えなのです。
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最先端の哲学 No13
左は精神的産物、右は物質のことです。
たとえばここに石があるとすると、その根拠は体中に張り巡らされた神経網の為せるわざです。
その石に当たると痛いという神経的苦痛が、その石が存在しているという絶対的証拠なのです。
このように神経の働きによって環境(物質)を認識しているのです。
普通人間の体以外のすべては環境(物質)と言われていますが、人間の体も物質なのです。
そこで人間と環境という区分けを、脳とそれ以外(人間の体も含む環境)と考えたらどうでしょう。
脳が独立してそれ以外を環境(物質)とすれば、最初の方で説明した「タイムラグ」も起こりません。
なぜなら物質を全部右側に持ってくることによって、シンプルになるからです。
今までの人間と環境という分け方では、人間は体を使って環境の中を自由自在に飛び回ることができます。
そのため体という物質の中にある脳も、いっしょに飛び回ることになります。
この場合の脳というのは「精神」のこととします。
ところが精神とそれ以外(人間の体を含んだ環境)となると、そういうわけにはいきません。
精神は動かないのです。
なぜなら「精神」は物質ではないからです。
極端に言うと、ちようど映画館の座席に座っているようなものです。(笑わないでください。)
我々は自分から動いているのではなく、座席に座ってスクリーンをみているのです。
あまりに突拍子もない展開にあきれて二の句がつけないのではないでしょうか?
実は私自身も次第に不安になってきました。
ところが面白いことに、この映画館については必ず「予告編」というものがあります。
(再び笑わないでください。)
我々はここで未来を知ることができます。
これがよく言われる預言者が行う未来予知に相当すると考えることもできます。
本当に冗談のような話ですが、ガリレオの時代の天動説が現在によみがえって来たのかもしれません。
デスから科学は全部右の部分(物質の部分)の話にすぎなくなるのです。
要するに映画館のスクリーン上にあるのが科学(の発展)になるわけです。
まとめると
精神(非物質)⇒環境(人間の体を含む物質)
となります。
右側は動きますが、左側はうごきません。
左側は物質ではないからです。
その昔ガリレオは宗教の天動説を批判しました。
その科学によって批判された天動説が、今まさに復活しようとしているのです。
厳密な意味での天動説とは違いますが「動いている」ことは同じです。
ガリレオは地動説の立場から天動説を批判したのですが、この場合はその両方が右側
(スクリーン)に含まれることになります。
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最先端の哲学 No 12
このブログの最初で、今までの哲学は難解で読みにくいと批判しましたが、さすがに12回までくると「お前の言ってることも同じじゃないか?」という声が聞こえてきそうです。
そうです確かに難解で読みにくいのは否定しません。
けれども唯一点だけ違う部分があります。
それは今までの哲学(心理学をふくむ)が持っている抽象的概念が一切存在しないことです。
すべて日常的な言葉を使っています。
たとえば有名なところでは真、善、美、実存、日本で言えば 絶対矛盾の自己同一、などです。
従って使用している用語も種類が極めて少ないし、日常的に使われる言葉を中心に使っています。
この点だけをとると「読みやすい」と言えるのではないでしょうか?
ついでに大それたことを言うと(この分野は言ったもの勝ちですから)私のこのブログの理論は、将来の宗教統一の時の基本理論となる資格があるということです。
その理由は「抽象的な目的」ではなく「人間の思考活動のプロセス」を論じているからです。
開いた口が塞がらないとはこのことだと思いますが、自然科学の急激な発展と対照的な人文科学(一部分は異なりますが)の停滞を打破するためには、これぐらいのことをぶち上げる必要があるのです。
それともう一っの問題があります。
偶像崇拝という問題です。
我々は日頃神様に拝みますが(信心深いかどうかは別にして)その対象物(偉大な聖人の掛け軸、仏像、十字架)などを通じて神様と対峙しています。
でもこれらは所詮「物」です。
神様 ⇒ 我々(人間) ⇒ 物質
一番偉いのは左側で、一番偉くないのは右側になります。
ということは我々は我々より格下の右端(物質)に頭を下げていることになります。
これが偶像崇拝の問題と思います。
神
人間 物質
上の図からすると、我々は(人間→物質→神)という順序でお祈りしているわけです。
この順序を批判する人たちがいるわけです。
まあ言われてみると、なるほどと思えないこともありません。
本来は「神と人間」という関係であるのが本当だとは思いますが、信心深い人はこれが理想かもしれませんが、そうでない人はこれはちょっと「疲れ」ます。
やはり 人間⇒物質⇒神様というのが気楽でしょう。
ちよっと極論しますと、人間⇒神様というケースでは、その間には何もない(物質は存在しない)ことになります。
物質が存在しないと言うことは、それだけ神様に人間が一歩近ずいたと言えなくもありません。
もしこのような思考傾向が起これば、人間の「物質追及」から「精神性追求」へという流れがはじまるかもしれません。
なぜならこの世の不幸は、人間の飽くなき物質追及からきているからです。
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最先端の哲学 No 11
「マイナスの想像力の拡大」は消滅させることが出来ると書きましたが、これには人間のタイプについて言及する必要があります。
「よくわからない」⇒「マイナスの想像力の拡大」⇒「二次的ストレス(強い不安)」
(未来) (予測) (自分への説明)
これは「心の働きのプロセス」であり「よくわからない未来(現時点では存在しない)」を過去の蓄積された記憶を呼び起こして(予測して)「マイナスの想像力」を発生させ、未来の結果がまだこの時点でわからないから、理性の歯止めがきかず「マイナス想像力」がますます増幅拡大して不安定になるため、「二次的ストレス(強い不安)」が発生します。
これを解決するには「よくわからない」を理解すれば良いのですが、この理解の仕方は人間のタイプによって異なります。
一つのタイプは体育系であり漫画の亀有公園前の両津勘吉タイプ、もう一つは「人間は何のために生きているのか?」と考えるタイプです。
前者は外交的でストレスを受けても外に発散するトラブルメーカーです。
後者は内向的でストレスを受けると、内にこもって「こうなるのは自分の力が足りないからだ」と思い悩んで事故を攻撃するタイプです。
この二つのタイプの場合も、二つの「よくわからない」が存在します。
つまり自分の関心のある事柄が、未来において(時間の経過後において)吉と出るか、否とでるかが「わからない」のです。
ここまでは二つのタイプとも同じですが、この「をくわからない」の中身が両者では違うのです。
Aタイプでは自分の体以外の物、たとえばお金、株、宝石、権力、異性などですが、Bタイプではそれらより優先するものとして、「自己の心の働きが順調であるか、そうでないか」が重要なのです。
つまり自分の心のコンデション不都合があると、それが一つのストレス(ダメージ)となるので、自分の心の働きを整えることが最優先されるのです。
自分はいつも堂々としていなければならない(心の働きがスムーズでなければならない)。
ということは少しでもオロオロすることは心の働きがスムーズでないイクオール、ストレス(ダメージ)として感じられるのです。
Aのタイプの「よくわからない」は先ほど言いましたように数多くありますが。そのほとんどは理解出来ません。
けれどもBタイプのそれは理解可能です。
なぜならそれは唯一つであり、しかもその内容は「心の働き」そのものだからです。
その理由はBタイプの人は自分のこころの働きに非常に敏感です。
その上よどみのないこころの働きでなければ満足しません。
そうでないと、それはストレス(ダメージ)としてBタイプに襲いかかります。
この場合の「こころの働き」とは、未来における「こころの働き」のことです。
ここで改めて「こころの働き」を述べますと、「過去の記憶を呼び起こすことによって、現時点では存在しない未来を予測している(自分に説明している)のです。」
となりますが、話のついでに悪乗りして表現しなおしますと、「過去の記憶が自分の意思とは無関係に呼び起こされて、現時点では存在しない未来を予測している(自分に説明している)のです。
つまり我々は自分の意思とは無関係にジエットコースターに乗せられているようなもので、それを自分の意思で乗り込んでいると固く思い込んでいるのかもしれないのです。
そして何かをしでかすと、全責任は自分が負うのです。
ですから100%自分自身を信じてはいけません。
いや、いやこれは悪い冗談です。早く忘れてください。
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ainasum
最先端の哲学 No 1O
「想像力の拡大膨張」は自分の関心のある未来の事柄が、良い結果になるのか、悪い結果になるのか「よくわからない」という宙ぶらりんの状態において発生するものだから、未来の結果が分かれば(理解されれば)即消滅して「二次的ストレス(強い不安)」も消滅します。
二次的ストレスが発生すればマイナスのダメージですから、マイナスの記憶として頭の中に蓄積されます。
もし頭の中の蓄積がマイナスの記憶で占められていれば、現時点では存在しない未来をそのマイナスの記憶によって、理性の歯止めがきかず自分に説明(未来を予測)するため「マイナスの想像力の拡大」が起こり「二次的ストレス(強い不安)」が生じることになります。
要するに今まで頭に蓄積された記憶が、マイナスの記憶が多かった場合、心の働きによって現時点で存在しない未来の説明(未来への予測)が、マイナスの説明(マイナスの未来の予測)になるわけです。
ですから今まで頭に蓄積されていた記憶のマイナスの記憶を減少させれば解決することになります。
人間は本来忘れる動物です。
何故かというと忘れないと先へ進めないからです。
では何故ストレスや神経症というものが存在するのでしょうか?
それは常に人間の精神(マイナスの想像力)が拡大再生産しているからです。
蓄積されたマイナスの記憶によって、現時点で存在しない未来を自分に説明(予測)しているからです。
これらを解決するのは「よくわからない」を理解すれば解決するのですが、現実にはそう簡単ではありません。
ただ言えることは「マイナスの想像力の拡大(疑心暗鬼)」は実体のない風船のようなものですから消滅させるのは簡単なのです。
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最先端の哲学 No9
「よくわからない」⇒「想像力の拡大」⇒「二次的ストレス(強い不安)」
「よくわからない」とはその人の欲している価値(未来の価値)が「よくわからない」ということになります。
全ては未来の事柄ですから「未来の自分が欲している価値がよくわからない」となります。
現在ではその人の未来の価値は、時間がまだ経過していないから、現時点において未来は存在しません。
また現時点においては、過去も存在しません。(時間が経過してしまっているからです。)
ただその記憶が頭の中に、今までの蓄積された記憶として存在します。
従って存在するのは「現在(現時点)」と「過去の頭の中に蓄積された記憶」の2
っだけになります。
ゆえに現時点において存在しない「未来」を、過去の蓄積された記憶を呼び起こして
自分にする(予測している)のです。
その説明(予測)が最悪になると、「二次的ストレス(強い不安)」が発生します。
そして時間が経過して未来の、その人が欲している価値の良し、悪しが判明します。
結果が良ければ万々歳ですが、もし悪ければ新たな「3次的ストレス(強い感情)」が生じます。
つまりこの「3次的ストレス(強い感情)」を予測するから「2次的ストレス(強い不安)」が発生するのです。
ですから「2次的ストレス(強い不安)」を体験するということは、まだ存在しない「未来の3次的ストレス(強い感情)」の一足早い疑似体験をしているのと同じことなのです。
例えばもし風邪の症状についての知識が「まったくない」と仮定すると、高熱、咳、頭痛、だるさ、などの症状がどのようなものか「よくわからない」ので、理性(頭脳)が判断能力を失い「想像力の拡大」が起こり、「最悪の病気にかかっているのでは?」
「原因不明の奇病にかかつて一生治らないのでは?」などと、理性の歯止めがきかず想像力が悪い方向へ急激に膨らみ「2次的ストレス(強い不安)」が生じ、精神的苦痛は増大します。
けれども私たちは日常的な経験や知識から、風邪の症状を理解しているので(理性が判断材料を持っているので)「想像力の拡大」起こらず、「二次的ストレス(強い不安)」も発生しないため精神的苦痛は生じにくくなります。
ただ肉体的苦痛だけ我慢すればよいことになります。
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最先端の哲学 No8
「よくわからない」という思考の無政府状態は理性が後退した状態のことです。
それでこの無法地帯と化した空白に現れるのは、無責任なマイナスの想像力が拡大、膨張してその空白を埋めます。
答え(未来の結果の判明)のない宙ぶらりんの状態(不安定な状態)のため、そこに強い不安(二次的ストレス)が発生します。
この場合の「よくわからない」とは未来の事柄です。
すべてのものは未来の事柄になるのです。
これをまとめますと、次のようになります。
「よくわからない」⇒「想像力の拡大」⇒「二次的ストレス(強い不安)」
例えば今まで経験したことのないような仕事をするという場合「よくわからない」部分が多いから、その部分に関して情報不足となり理性(頭脳)がどう判断していいのか迷い(後退して)「想像力の拡大」が起こって、疑心暗鬼になり、「もし失敗すれば致命的な評価を受けるのでは?」「この仕事は自分には不向きなのでは?」などと、
いろんな方向へ想像力が膨らむようになり、「二次的ストレス(強い不安)」が起こります。
しかし仕事の内容の「よくわからない」部分を理解するように努めれば、理性が判断力を回復するため(材料が与えられるため)これが歯止めになって「想像力の拡大」は
消滅(軽減)し「二次的ストレス(強い不安)」も消滅(軽減)することになります。
つまり「拡大」「二次的」「強い」というワードが消えてしまうと言うことです。
例えば会社の上司が自分に対して非常に不機嫌で、その原因が「よくわからない」ような場合、家に帰ってからも自分を納得させるような情報がないため、「想像力の拡大」が起こり「自分が気ずかないところで何か失敗したのでは?」
この上司の下では出世は望めない。」などと理性の歯止めがきかず、おおげさに想像力がふくらみ「二次的ストレス(強い不安)」が生じます。
ところが何かのキッカケでその原因がわかれば(正しい情報が入ってくれば)理性の回復によって「想像力の拡大」は軽減され、「二次的ストレス(強い不安)」も軽減されます。
たとえその結果の内容が自分にとって不本意なものであったとしても、理性が情報を得ることで、つぎに取るべき対策が準備され、これが歯止めになって「想像力の拡大」は消滅し「二次的ストレス(強い不安)」は軽減されます。