■
最先端の哲学 No9
「よくわからない」⇒「想像力の拡大」⇒「二次的ストレス(強い不安)」
「よくわからない」とはその人の欲している価値(未来の価値)が「よくわからない」ということになります。
全ては未来の事柄ですから「未来の自分が欲している価値がよくわからない」となります。
現在ではその人の未来の価値は、時間がまだ経過していないから、現時点において未来は存在しません。
また現時点においては、過去も存在しません。(時間が経過してしまっているからです。)
ただその記憶が頭の中に、今までの蓄積された記憶として存在します。
従って存在するのは「現在(現時点)」と「過去の頭の中に蓄積された記憶」の2
っだけになります。
ゆえに現時点において存在しない「未来」を、過去の蓄積された記憶を呼び起こして
自分にする(予測している)のです。
その説明(予測)が最悪になると、「二次的ストレス(強い不安)」が発生します。
そして時間が経過して未来の、その人が欲している価値の良し、悪しが判明します。
結果が良ければ万々歳ですが、もし悪ければ新たな「3次的ストレス(強い感情)」が生じます。
つまりこの「3次的ストレス(強い感情)」を予測するから「2次的ストレス(強い不安)」が発生するのです。
ですから「2次的ストレス(強い不安)」を体験するということは、まだ存在しない「未来の3次的ストレス(強い感情)」の一足早い疑似体験をしているのと同じことなのです。
例えばもし風邪の症状についての知識が「まったくない」と仮定すると、高熱、咳、頭痛、だるさ、などの症状がどのようなものか「よくわからない」ので、理性(頭脳)が判断能力を失い「想像力の拡大」が起こり、「最悪の病気にかかっているのでは?」
「原因不明の奇病にかかつて一生治らないのでは?」などと、理性の歯止めがきかず想像力が悪い方向へ急激に膨らみ「2次的ストレス(強い不安)」が生じ、精神的苦痛は増大します。
けれども私たちは日常的な経験や知識から、風邪の症状を理解しているので(理性が判断材料を持っているので)「想像力の拡大」起こらず、「二次的ストレス(強い不安)」も発生しないため精神的苦痛は生じにくくなります。
ただ肉体的苦痛だけ我慢すればよいことになります。